本当にそうなのか。なぜ、そう言えるのか。

たまに、このような論調を目にします。

  • 〇〇は、AまたはBである。
  • Aはダメ(0点)。Bは素晴らしい(100点)。
  • Bにならない限り、××は▲▲である。

時に正しい場合もありますが、間違いを含む場合も多々あるようです。例えば、こんな感じです。

  1. 会社員には、2種類の人がいる。それは、会社を利用する人と、会社に利用される人である。
  2. 会社に利用されている人は、幸せにはなれない。逆に、会社を利用する人は、幸せになれる。
  3. 会社を利用する人が増えない限り、日本に未来はない。

※今回のために作成した例であり、誰かの言説と偶然一致したとしても、その方の意見を非難したりするものではありません。

謝った二分法

これはいわゆる、「誤った二分法」ではないかと思います。会社を利用する人と、利用される人の二種類が示されていますが、果たしてそれだけでしょうか。敢えてそれ以外の選択肢を提示しないことで、その後に続く結論に誘導しようとしていないか、注意が必要です。また、第3・第4の選択肢に思いがいたっていない、つまり考慮が足りない場合も考えられます。この場合、「前提が間違っている」ため、その後に続く結論もまた、間違っている恐れがあります。

事実と意見の混同

「2種類の人がいる」としたとき、その根拠が示されてません。「幸せになれる/なれない」もそうです。本当にそうなのか。なぜ、そう言えるのか。その根拠がないままに断定された意見には、注意が必要です。特にそれが、両極端な結論である場合ほど。

正しい「単純化

物事をとらえるとき、「要するに」と自問自答することで問題を単純化できる場合があります。雑味を除き、問題の本質を捉えることが出来たならば、正しい対処法に至れる可能性はグッと高まります。なぜなら、単純化された問題に対する答えは、問題と答えの間で因果関係が成立しやすいからです。しかしこの時も常に、「本当にそうなのか」「なぜ、そう言えるのか」といった検証を繰り返すことが肝要です。

誤った前提に基づく推論

先にも上げましたが、前提が間違っていれば、そのうえに組み立ったものが正しいというのは考えにくい。例え正しい道筋で考えられた結論に偶然一致したとしても、危ういものだと思います。なぜなら、ある一面だけを見て正しいと感じても、角度を変えて見た瞬間に、全く別物に変質する場合があるからです。
例)「ワンピース」の海賊「クロ」が献身的な執事であったのは、奉公先の人を殺して財産を奪うため。
善人であるという前提で彼の言動を捉えるとき、それらは全て全くの誤解となってしまいます。

早まった一般化・偏りのある標本

日本には、会社員しかいないのでしょうか。そんなことはありません。多くの人が会社勤めしているのは事実ですが、自営業の方もいれば、専業主婦の方もいる。大人もいれば、子供もいる。様々な人がいる中で、会社員の「ありようの一つ」が日本の未来に直結するというのは考えにくい。

メリットとデメリット

物事の解決手段には、メリットとデメリットがあります(比率が半々とは限らない)。これらが複雑に混ざり合って、どちらでもない状態に見える場合もあるでしょう。メリットだけ、あるいはデメリットだけが提示される主張には、主張者が希望する特定の結論への誘導が潜む場合があるため、注意が必要です。また、単に考慮が足りないという場合もあるでしょうが、これもなかなか危険な存在です。


これらを踏まえると、何某かの問題点を解決しようとするとき、例えば以下の視点が有効ではないかと考えるわけです。

  • 問題を単純化できているか。
  • 問題点を正しく捉えられているか。
  • 問題点と捉えた根拠は何か。
  • 根拠は正しい調査に基づくものか(統計学的な正しさ)。
  • 意見と事実を混同していないか。
  • 解決策のメリットとデメリットの両方を提示できているか。
  • デメリットがある場合、その緩和策まで検討しつくされているか。
  • これらの全てについて、「本当にそうなのか」「なぜ、そう言えるのか」で繰り返しチェックされているか。
  • などなど。

このような視点や考察が不十分なまま物事を解決しようとすれば、「行き当たりばったり」「その場限り」に陥る恐れが高まるため、注意が必要と考えます。
また、これらを踏まえたうえで、さらに「多くの選択肢を持つ人」が、いわゆる「仕事のできる人」なのだと思います。

ただし!これらは仕事に於いて大変有効ですが、私生活に持ち込む際は気を付けましょう。家族や友人相手にこのような論調で話を進めると、恐らく煙たがられたり、怒られたり、相手にされなくなります。思っても、口にしないなどを心掛けたほうがよさそうです。

参考まで。