
近頃は、月曜日の朝を迎えたと思ったら、次の瞬間には金曜日の帰宅の途に
ついている。それほどに、一週間という時間の短さを痛感します。
ところで週5日、1日8時間働く人にとって、一時間の価値はどの程度でしょうか。
ここでは、一時間の価値を「残り時間に占める割合」と仮定してみます。
月曜日の朝8時の時点では、残り40時間のうちの1時間ですから1/40です。
まだ39時間も残っています。しかし火曜日の同じ時間は1/32。水曜日は1/24。
木曜日は1/16。
金曜日の夕方ともなれば、その価値は急速に高まります。もちろんのこと、
時計の針は一定の速度で進みます。だから月曜日の朝には、一時間の価値が
日ごとに増していくことを頭では理解していても、その重みを実感するのは
木曜日の午後あたりからなのかもしれません(人によりますが)。
一方で、心理学によれば、同じことの繰り返しは記憶に残りにくく、新しい
体験は記憶に残りやすいそうです。毎日が同じことの繰り返しだと感じるなら、
それは
残り時間を減らしながら、同時に時間の流れを加速させている
ことになります。なかなか厄介な仕組みです。
一週間があっという間に過ぎてしまうこのやかっかいな感覚は、実は人生という
長いスパンでも全く同じ構造で起きているのではないでしょうか。例えば、私の
通う道場では、初段を取得した人に先生がいつも贈る言葉があります。
「空手は黒帯になってからです」
そして私が二段を取得した時には、
「体が動くうちに、三段を目指しましょう」
と声を掛けてくださいました。
当時は、その言葉の重みを十分には理解できていなかったように思います。
ところが最近になって、これを強く実感するようになりました。体力も、
柔軟性も、集中力も、無限ではありません。年齢を重ねるとは、老いる
ことではなく、有限であることを自覚することなのかもしれません。
しかし、だからといって慌てる必要はないとも思います。
これを「ゴールに向かって歩くこと」に例えると、本質が見えてきます。
仕事において、例えば目標達成というゴールに向かうとき、
- 確認を省略する
- 教育を省略する
- 準備を省略する
そんなことはないでしょうか。その結果、時間が足りなくなります。本来、
目標と期日を意識しながら着実に歩んでいれば無理なく到達できたはずなのに、
途中から走らざるを得なくなる。歩幅は広がり、無理な走りはバランスを崩し、
時に転んでけがをする。場合によっては、ゴールに到達できないかもしれません。
急いだから早く着くとは限らないのです。
踏破する距離が同じなら、短くても確かな一歩を積み重ねた方がよい。その方が
遠くまで行ける。その方が、転ばない。そして何より、周囲の景色を見る余裕が
あります。慌てて到達した人は、息を切らして膝に手をつき、足元を見ています。
しかし静かに到達した人は違います。ゴール少し前から、もう次の景色が見えて
います。なぜなら、仕事の目標や資格はゴールではなく、道標の一つに過ぎない
からです。
本当に価値があるのは、そこへ至るまでに積み重ねた日々であり、その過程で
身についた力であり、その道すがら出会った人々であり、そして次の一歩を
踏み出せる自分自身であると思います。
一週間は、あっという間に過ぎます。だから焦るのではなく、残量を知った
うえで、一歩を大切にする。そして、せっかく歩くのなら、目的地だけでは
なく、その道の景色も楽しみたい。人生とは、ゴールを目指す競争ではなく、
次の景色が見える歩き方を身につける旅なのだという視点を持つ。
そうすれば、あなたの「もう年だから」の後に続く言葉は、
「やめておこう」
ではなく、
「今からでも焦らずに、確かな一歩を踏み出してみよう」
に変わるかもしれません。
ご参考まで。