仕事でよく耳にする言葉に、「ベクトルを合わせよう」というものがある。会議でもプロジェクトでも、方向性を揃えることは大切だ。誰もがそう思っている。
けれど現場では、こんな光景をよく目にしないだろうか。
- 全員が同じ方向を向いているはずなのに、なぜか前に進まないチーム。
- 議論は整っているのに、新しい発想が出てこない部署。
- “足並みは揃っているのに成果が出ない”という、あの違和感。
私は以前から、この「ベクトルを合わせる」という言葉に、微妙な引っかかりを覚えていた。今思えば、それは数学で扱うベクトルの概念とはどうにも噛み合わない(数学の概念とビジネスの取り組みを橋渡しする説明が、十分に言語化され共有されていない)もどかしさだったのかもしれない。
そこで、ビジネスでの“ベクトル合わせ”を数学のベクトルで考えてみたらどうなるか、について考えてみた。一般論や精神論だけではなく、数学的に設定した各種変数の振る舞いで、ビジネスにおける実態を説明し、さらには進むべき道を見出そうという試みだ(私は工作機械の設計者であったため、異業種の方から見て「違うと感じる部分」はあると思う)。
方向性が揃いすぎた組織は、本当に強いのか?なぜ自分は努力しているのに、上手く成果に繋がらないのか?この疑問を数学的な視点で整理しながら、もう少し深く考えてみよう。
01 ベクトルとは
線形代数で取り扱うベクトルは、「向き」と「大きさ」を持つ「量」をいう。
温度や質量は、「大きさ」のみを持つ「量」である。
このあたりの詳細に踏み込むと、専門家各位から盛大にご指摘を受けそうなので、教科書レベルの紹介にとどめおく。
02 ビジネスにおけるベクトルとは
一方で、ビジネスにおけるベクトルは、「同じ方向を向き、同じ目標に向かって進む力や意思の向き」として扱われており、数学そのものではなく比喩表現である。
ベクトルは「合わせるべきもの」「揃えるべきもの」との文脈で語られることが多く、向きにのみ言及されていることから、線形代数学習者は(人により大小の差はあれど)違和感を覚えるのではなかろうか。
- 「合わせる」から受ける印象・・・合成ベクトル。あるいは合力(物理学)
- 「揃える」から受ける印象・・・大きさは変えず、回転させ同じ向きにする
また、向きと一緒に大きさも合わせる必要があるのか?など、比喩表現にもかかわらず疑問を抱きがち。定性的な表現であるため、捉えるのが難しく、なんとなく理解しつつも実務に落とし込めない場合が多いと感じる。いずれにせよ、各位の脳裏に浮かぶのは、例えばこんな情景ではないだろうか。

03 目標とスキルのギャップ
そこで今回は、数学におけるベクトルのイメージを極力損ねないまま、ビジネスシーンに落とし込む試みを行ってみた。結果を以降に示す。便宜上、これを「ビジネス極座標モデル」と称してみる。
企業や組織の目標到達点を、中学の数学でも馴染みのある座標にとるとき、原点からこの目標到達点に引いた矢印を、企業や組織の方向性を示すベクトルとして「目標ベクトル」と呼ぶことにする。
この目標ベクトルは以降、目標:Targetの頭文字をとり、
で表す。

以降、グラフにはGeoGebraで描画したものを使用する(感謝)。
ある個人が、この目標達成のための取り組みに参加した時、従来の「ベクトルを合わせる」呼びかけは、この方向に対し意識や意欲を揃えることが求められてきた。しかしここでは、まずその個人が持つスキルを同一平面上に、ベクトルとして表記してみる。これを便宜上「スキルベクトル」と呼び、表記は下記のとおりとする。

ここで、「スキルベクトル」の大きさは、そのスキルの習熟度を表すとする。つまり矢印が長いほど、優秀なスキルと言える。
なお、スキルにも関わらず「r」としたのは、極座標に登場する(r,θ,φ)を使用するためだ。
目標の方向性と保有スキルの方向性が完全に一致していることはまれで、多くの場合は何某かのギャップが存在する。そこで、これを「目標ベクトル」と「スキルベクトル」が成す角度θで表すこととする。

この時、個人が目標達成に貢献できる度合いは、目標ベクトルへ射影した下記で表されるとしよう。

の最大値は1であることから、保有スキルが目標達成に貢献できる度合いは100%とはならず、また本来以上の能力を発揮することもない。
04 目標と意識のギャップ
従来ビジネスシーンで言及される「意識、意欲、興味・関心」などの精神的な部分を、z軸にとり表してみる。そのために、まず先ほどの図を90度倒して、横から眺めてみよう(=で考える)。

するとこのように、真横から(先ほどの図でいえば下から)見るわけだから、横軸に水平なベクトルとして見えることだろう。
では改めて、縦方向の新たな軸(z軸)が示す指標を、人の「意識」「意欲」「興味・関心」のようなポジティブな心理状態として設定する。上に行けば行くほど、意識、意欲、興味・関心が高い状態と言える。
ここで目標ベクトルのz軸成分について考えてみる。企業や組織の目標であることから、その意識は高い位置にあるに違いない。
例えば、このような感じだ。

目標到達点のz座標をhとするとき、目標達成に向けての意識・意欲・興味関心といったものと今まで登場したスキル保有者には、高さhのギャップが存在することになる。

従って、「意識のギャップ」をと
のなす角φとすると、先ほどと同様
は
へ投影され、最終的な貢献度は
となる。

この貢献度の式は、以下の意味を持つ。
1. スキルの習熟度が高いほど、目標達成のための貢献度は高くなる。
なぜなら、目標ベクトルに投影される貢献度はスキルベクトルの大きさに比例するから。

2. 目標とスキルの方向性が近しいほど、貢献度は高くなる。
下記の例でいえば、ベクトルの大きさは同じでも、目標ベクトルと方向性が違うほど貢献度が低くなっている。なぜなら、目標とスキルの一致度と貢献度は、で表すとおり比例するから。

3. 目標に対する意識、意欲、興味関心が高いほど、貢献度もまた高くなる。

これらの解釈であれば、卓越したスキルを持っていても目標との方向性が違えば貢献できなかったり、方向性が近しくとも意欲的でなければ貢献できないことも説明可能だ。
参考までに、三次元的に表すとこのようになる(極座標)。

05 チームとしての合成ベクトル
2人以上のチームで考える場合、目標達成のための合成ベクトルの考え方を、従来の「ベクトルを合わせる」に適用できる。
各メンバーが持つスキルが各々の貢献度として集まり、目標に向かって一致協力するイメージを描きやすい。
また、「各自が同じ方向を目指す=意欲や意識、興味関心の度合いを上げる」ことであり、その結果φは小さくなり、最終的に全体貢献度は大きくなる。
06 個人でも発生する合成ベクトル
目標に貢献できるスキルを複数持つメンバーは、そのスキルの大小にかかわらず、個人の中でスキルベクトルの合成が起きうる。
例えば二人目のメンバーが、目標に対し貢献できそうな3つのスキルを持つ場合は、以下の足し算となる。
従って複数のスキルを持つ人は、目標に対し貢献度が上がる傾向にあるといえる。皆さんも周囲に、思い当たる方が居られないだろうか。
07 合成ベクトルの中に生まれる新たなスキル
個人で形成された合成スキルベクトルは、その人の中で新たなスキルとして定着する場合がある。例えばある目標に対し、と
の2つが合わさって貢献したとする。この状況がしばらく続くと、新たなスキルが生成される場合があるのだ。
は、
と
成分を含まない、独自のスキルである点に注意が必要。このことは複数スキル保有者ほど様々な目標に対応しやすく、また新たなスキルを習得しやすい現象に対し納得感を得やすいと考える。ただし、これらが自然発生的に増えることは少なく、何某か目標に向かって取り組んだことをきっかけに生まれやすい。
コラム:①
合成ベクトルの方向に新たなスキルが生まれる現象は、ゲームの職業システムにも類似の例を見ることができる。
たとえば、RPG「ドラゴンクエスト」シリーズでは、「戦士」と「僧侶」という異なる職業を極めた先で、上位職「パラディン」へと転職できる。このパラディンは、戦士の強さと僧侶の支援能力を併せ持つだけでなく、両者のどちらにも存在しない「におうだち」という固有スキルを習得する。これは、本稿で述べた
「合成スキルから新たに派生する独立スキル」
に相当するものと考えられる。実務でも、複数のスキルを横断的に活用する過程で、個々のスキルには見られない新たな能力が形成されることがある。いわばゲーム的な上位職化が、現実のスキル形成にも部分的に観察される現象と言える。
08 チームメンバーから投影されたベクトル
全体貢献度の成分が、そのスキルを持たないメンバーに投影され続けることで、そのメンバーに新たなスキルを定着させる効果が期待できる。昔風に言えば、「先輩の背中を見て覚える」というやつである。またそのメンバーが、定着が期待されるスキルと類似したスキル保有者であれば、高い定着効果も期待できる。例えば外国語を1つマスターした人は、2つ目以降の外国語習得に要する期間が短くなるイメージだ。ただし本人の意欲、意識、興味関心が低ければ、投影される量もまた少なくなり、定着する確率は低くなる(学びにならない)。
コラム:②
投影によるスキル定着は、ゲームの成長システムにも類似の例を見ることができる。例えば「ドラゴンクエストⅢ」における「遊び人」は、序盤では戦闘力がほとんどなく、ふざけてばかりいる。従って、
のいずれの成分も小さい状態にある。特に φ(意識・意欲)の角度が大きく、目標に対する精神的な方向性が一致していない点が特徴的だ。しかし、勇者や仲間たちと旅を続ける中で、遊び人は(おそらく)徐々に使命感や目的意識に目覚め、φ が小さくなっていく。この変化は、意欲・関心の方向が目標ベクトルに近づいていく過程と解釈できる。
φ が小さくなるにつれ、仲間の高い貢献度が遊び人に「より強く投影される」ようになり、その投影成分が内部で累積し、ついには新たなスキル成分「賢者としての能力」が形成されるのではなかろうか(私見)。レベル20で「賢者」に転職できるという現象は、本人の努力だけでなく、環境(チーム全体の合成ベクトル)が与えた投影と内在化の結果として説明することができる。これは、実務における「周囲の専門性や姿勢に触れることで能力が開花する」プロセスと、本質的に同じ構造を持つとは言えないだろうか。
09 まとめ
今回は「ベクトルを合わせる」という表現から、各自スキルの目標に対する貢献度を、極座標に当てはめることで説明してみた。このことから各自が努めるべきは、以下と言えるのではないだろうか。
- 複数のスキルを持つ(θが小さいスキルが存在しやすくなり、貢献度が上がりやすくなる)
- まざまな取り組みに、積極的に参加する(新たなスキルの派生や投影による定着を得やすくなる)
- 意欲・意識・興味関心を持って取り組む(φが小さくなることで、貢献度が向上する)
そしてこのような取り組みは、組織が新たな何かを生み出すための「しなやかさ」や、直面したことのない困難における「粘り強さ」に繋がるのではなかろうかと考える。
以上、ご参考まで。